rememberのゆめにっき

文筆の訓練のようなもの

もの凄い量の小雨、みたいなシャワー

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 年齢や身体的条件によってある程度差がある料金を払えば誰でも水泳や水を用いた遊戯を行える公共施設、に行った。

 施設内にある、不特定多数の人間が入っても衛生が保たれるよう何らかの処理を施したと思われる水が張ってある場は、大別すると以下の四つに分類できた。

・水が常に一方のほうに、一定の速度で流れが発生している循環型の場。

・水面が浅く、幼児や子供の水難事故を防ぐよう配慮した場。

・地上十メートルほどの高さから流しそうめんの如く、筒を半分に割ったような形の巨大なホースの中を水と共にスライダーし地上の水場に着水する、享楽主義者向けの場。

・特に何も設けられていなく、そこで何をしてやり過ごすかはその者の意思に依る部分が多い自由主義者向けの場。

 

 俺は最も有意義に時を過ごすにはどの水場に行くのがよいのか、もの凄い量の小雨、みたいなシャワーを浴びながら思案した。

 幼児用に作られた水場の中央には、キノコを模したと思われる巨大なオブジェクトが設立されていた。そのキノコの房の外郭からは下に向かって水がシャワーのように噴出していた。キノコはカラフルな色合いで、シャワーと相まってメルヘンな雰囲気を醸し出していた。なるほどあの設備も幼児を楽しませる為に一役買っているという訳か。色々と工夫をするものだな。俺はそのキノコに興味をひかれなかったわけではないが、さすがに幼児の群れの中に突入していくのは憚られたし、もし俺があのキノコの中に入ったとしても得るものは虚無感しかないだろうなとも思った。享楽主義者向けの水場も同様に思った。

 俺はシャワーを浴びるのをやめ、循環型の水場に向かった。

 

 その水場の流れは反時計方向に緩やかに流れていて、多くの人々はその流れを享受しながら、ビニール製の非常に軽い球体を同輩に投げつけたり、土着的な会話をしたり、本格的拳闘劇に発展しない程度の戯れをしていた。俺はその人々に接触しないよう注意しながら、水の流れに沿って泳いだ。大抵は平泳ぎだったが時々クロールにした。水場全体の四分の三ほどまで泳いだところで何も楽しくないことに気付き、水場から上がった。もしかしたら水の流れとは逆向きに泳いだら面白いかもしれないとも思ったが、変人奇人にみられるだろうから辞めた。それを実行する勇気はなかった。

 次に自由主義者向けの水場に入った。先程の水場は流れがあったため人の進行方向というのが予測できたのだがここはそれがなく、故に人は思い思いの方向に向かって進行できるわけであり、その様はまさに自由で誰がどの方向に行くのかまるで予測がつかなかった。狂乱の場であった。皆狂っていた。恐れおののいた俺は、肺の空気を抜き水場の底辺に沈殿することにした。肺に空気が入っているとそれが浮袋の役目を果たしてしまい、潜水することができないのだ。水場の床に臀部を付けた俺は、そこで何か哲学的な思索にふけようかと思った。それは現実逃避と同義の行為だった。この異空間が自分の思考に何か影響を与え、新たな見識を生み出すかもしれない。何てことを考えたのだが運動不足による体力の低下で俺はすぐ音を上げてしまい、酸素を求めて水面上に浮上した。

 何をすればいいのか分からなくなった俺はそこにいる人々を観察することにした。思ったのは上着を着たまま泳いでいる人が多いことだ。その上着をウェットスーツとでもいえばいいのか、ダイバーが着るようなもので、身体に良く張り付くような素材でできていた。かと思えばただの、フードがついているジャージ、みたいなものを着ている人もいた。半袖のものもあれば手首の部分まで覆っているものもあった。年齢や性別は関係なく、野球部員のような中学生も着ていたし、子供がいる主婦も着ていた。日焼け防止の為だろうか、日焼けなど気にしなくてもいいのに。でもそれは俺の価値観であって絶対のものじゃない。そう考えない人がいたってもちろんいいのだ。

 その水場での人々の遊び方というのは、先程の流れがある水場とそう変わり映えするものでもなかったが、一つだけ変わった遊び方をしている子供の集団がいた。この水場には左右を均等に分断するかのような線上の人工物が水面に揺曳していて、その人工物を挟むように子供らは位置していた。左右の集団は双方とも五人ほどで、お互いを親の仇の如くにらみ合っていた。そして空気を入れた球体を水面に落とさぬよう、相手側の集団に向けてそれをはたいていた。なるほど、あれはバレーだ。水面に浮かんだ線上の人工物をバレーの際のネットに見立て、最もそれは高さがないので実際のネットのような役目は果たさないものの、お互いの陣地を分かつ標識としては成り立つものであり、それは実際のネットの役割でもあるから充分にネットに模せられるものであって、つまり子供らはバレーボールをしていた。ただそれだけであった。俺は子供らの創意工夫性に対し、やるな、と賛辞の声を送った。無論密やかに。

 

 完全にやることがなくなった俺は帰ろうと思った。ここに居た時間は四十分ほどだった。思ったほど短かった。入場するときに浴びた、もの凄い量の小雨、みたいなシャワーを再び浴びた後、俺は帰路についた。

 

本棚に抽象画を飾る

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 いくつかの判断材料から俺は今図書館にいるのだと結論付けた。くすんだオレンジのカーペットとベージュの壁が見える。空気に微塵も対流を感じず、人の手が加わったもののように感じたが、それはあくまでも人々にこの場を快適に過ごしてもらうための調節だった。ちょうどいい温度だ。肉体労働、頭脳労働、感情労働。この空気だったらそのいずれの労働も快調な出だしで始められそうだった。

 しかしそれらはここが図書館だと断定できる決定的な情報ではない。俺の眼前には俺の行く手を遮るように焦げ茶色のオブジェクトが存在している。そのオブジェクトは大雑把に言えば四角くて、表面に数冊の本、本というよりは雑誌か、その雑誌がそれの表紙を見えるようにして立てかけられていた。つまりこの焦げ茶色のオブジェクトは本棚と言えるのであり、この本棚の存在と前述の空間環境の情報とを統合した結果、ここは図書館である、と俺は思ったのであった。

 その本棚にはエンプティーな箇所、つまり何も雑誌が置かれていない部分がいくつかあった。人は突然の空白というものには違和感を抱くものなのだろうか。俺はそこを今自分が手にしているもので埋めてみたいという欲求にかられた。俺は本棚の空白部分を埋めた。六ヶ所あった。俺は自身が本棚に埋めたものを見て、初めてその正体を認識した。

 抽象画であった。様々な色をただキャンバス、あるいは紙にぶちまけただけ、みたいな絵だった。それは六枚が六枚とも、多少の色彩の変化は見受けられるものの、本質的にはすべて同じで、対立する二つの概念の統合に失敗した者が描いたような絵だった。芸術とは素晴らしいという価値が内面化されていない者にとっては、それはただの落書きにしか見えなかった。本棚に立てかけられた、さも価値がありそうに見栄を凝らした、芥。

 でもその絵を描いたのは俺だという意識があった。だからその統合に失敗した者とは俺ということになる。実際俺は以前絵を描いていた。もう辞めてしまったが。

 

 その時背後で女性の声が聞こえた。俺はその声を自身のパソコンのディスプレイ越しに聞いたことがあった。彼女は俺がよく見ているバラエティ番組に出演している一般人だった。あまり美しくない容姿をしているのだが彼女自身それを良く自覚していて、明るい人格を取り繕い道化を演じることが彼女の処世術のようだった。一般的価値観から多少逸脱した衣装を身にまとっていて、それが彼女の振舞いを後押ししていた。

 彼女は誰かに対して進路の相談を持ち掛けているようだった。俺はその会話に聞き耳を立て、彼女の心理状態を読み取ろうとした。しかしよく分からなかった。

脳内タスクスケジュールとワーキングメモリ

お題「手帳」

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 どのような身分の者であろうとおよそ人間社会に携わって生きていこうと思うならば、日々それなりのタスク、つまり用事や課題といったものをこなす必要が出てくる。例えばそれは、取引先との商談、新企画の会議への参加、発注依頼の電話を掛ける、始末書の作成、業務終了後に仕事仲間と飲みに行くなどの、他者との関わりを持ったいわば公的なタスクであったり、あるいは、犬を散歩に連れていく、スーパーに食材を買いに行く、部屋の掃除をする、車検の為車を車屋に預けるなどの、自分の生活に根付いたいわば私的なタスクであったりする。

 自分が関わるコミュニティ・人物の数が多いほど、それに比例してタスクも増えていくのではないかと推測する。そこで問題になってくるのは、そのタスクの管理である。

 もし自分の頭の中だけでタスクのスケジュールを組む場合、それだけで脳内のメモリ、つまり容量を食ってしまい、他の作業に弊害を与えてしまうことが考えられる。どういうことかというと、何かしらの作業をするときはワーキングメモリ、つまりその作業に関する情報を一時的に保存しておく領域が必要であり、脳内でタスクスケジュールを組んでいる場合、そのワーキングメモリの領域が狭まってしまい、作業効率が落ちるということである。

 例えばコンビニエンスストアのアルバイト業務での場合を考えてみる。この業務はレジに客が並んでいないか常に注意を払いつつ、商品の品出しをしたり店内の清掃をしたりレジの金額の点検をしたりと、常に3つや4つのことを同時に処理しなければならないマルチタスクの状態である。言うまでもなくワーキングメモリの領域もそれ相応に必要になってくる。例えば床にダスタークロス(モップのようなもの)を掛け清掃している時に客がレジに来訪した場合、一旦その清掃を中断してただちにレジに向かわなければならない。その時、「自分は床のこの地点からこの地点まで清掃した。だから次はあの地点からあの地点まで清掃すればよい。一旦このダスタークロスはこの壁に立てかけておこう」という情報がワーキングメモリ内に保存される。そしてレジに行ってしかるべき処理をし、再びダスタークロスを手にして床の清掃に取り掛かる。これが正常の状態である。

 しかしもし脳内で日々のレベルでのタスクスケジュールを組んでいた場合、そのせいでワーキングメモリの領域が脅かされているのでこうはいかない。具体的に言うと、先ほどの「」内の情報が、「一旦このダスタークロスはこの壁に立てかけておこう」といった具合に半分しか保存されず、あふれ出した情報は全て切り捨てられてしまうのである。したところ、ダスタークロスをどこに置いたかの情報はあるのでそれを再び手にすることはできても、進捗状況の情報が失われているからどこから始めていいかわからず、「?????」という状況に陥ってしまう。とりあえず全ての面積を掃除すればいいのだから端から順にやっていこう、という考えで再開しようとしたところまた客がレジに来訪し、清掃を中断しレジに向かう。この時も先ほどと同じように作業の情報がワーキングメモリに保存されたのだが、今度は、「自分は床のこの地点からこの地点まで清掃した。だから次はあの地点からあの地点まで清掃すればよい」という進捗状況の情報しか保存されず、ダスタークロスをどこに置いたかの情報は保存されない、という状態になってしまう。レジの処理を終えて再び清掃をしようとし、進捗状況の情報は保存されているから清掃のスタート地点はわかるものの、ダスタークロスをどこに置いたかの情報が失われているのでそれを見つけることができず、またしても「?????」という状況に陥ってしまう。コンビニだから店内はそう広くはなく、だからダスタークロスはすぐ見つけることができて、さあ再開しようと思ったところまた客がレジに来訪し……という地獄のような状況が続き、業務開始から3時間半たっても床清掃とレジでの客対応しかやっておらず、そのせいで床は無駄に綺麗になっているものの、賞味期限が切れた商品の廃棄などの優先順位が高いタスクが全くこなせておらず、仕事が全くできないダメ男とみなされ、店長から解雇宣言をされる、ということになってしまう。

 実はこれはまだ症状が軽い方であり、重症になってくると、日々のタスクスケジュールとワーキングメモリの境界が極めてファジーな状態になってしまい、それら二つの領域が混然一体となり、夢遊病者のような行動をとってしまう危険性が出てくる。例えば、「明日の15時に飼い猫を猫病院に連れていく」というタスクスケジュールを頭の中に組んでいるとする。そしてコンビニのバイトで商品の品出しをしている時、商品棚にある猫缶を見て飼い猫のことを連想し、ふと時計を見ると14時55分、あっ、猫を病院に連れて行かなければ、と、本来は明日の話であるのだが現在こなさなければならない情報が格納されているワーキングメモリ内に混入しているため、今すぐやらなければならないと錯覚、20時退勤の業務を無断で15時に退勤、すぐさま帰宅し猫を病院に連れていくも、予約は明日ですよ、と猫病院のスタッフに受診を断られ、あげく無断退勤を知って激怒し鬼神のようになった店長から解雇宣言をされる、ということになってしまう。

 これは脳内タスクスケジュールの情報がワーキングメモリに介入したケースだが、逆のケースも考えられる。例えば何かの作業をしているときに店長から、「その作業が終わったらレジの点検をしてほしい」と頼まれたとする。すると当然ワーキングメモリ内に、「この作業が終わったらレジ点検をする」という情報(というよりはタスク)が格納される。そしてこの情報が幽霊のように浮遊、脳内の日々のタスクスケジュール内に侵入し、「明日の15時に飼い猫を猫病院に連れていく。この作業が終わったらレジ点検をする」というスケジュールが出来上がってしまう。その通りに行動しようとして猫を猫病院に連れていくものの、診察が終わった後にさも当たり前のようにその病院内のレジの中に侵入、無言でドロワーを開け札束を数え始める、といった奇行に走ってしまい、獣医から白い眼で見られあの人は狂人であるという噂が立ち、その噂を知った店長から憐憫のまなざしと共に解雇宣言をされる、ということになってしまう。

 頭の中だけで月日の日程を組むことは、このように一歩間違えれば社会不適合者になりかねない危険性を大いに含んでいる。極めて剣呑であると言わざるを得ない。こういった危険を回避するにはどのような工夫を凝らせばいいのだろうか。

 実は答えは簡単であり、それは脳内で月日のタスクスケジュールを組むのではなく、そのスケジュールを何かの紙に書き記す、というものである。つまり、脳内のメモリを食っている情報を紙面にそのまま移項するのである。これにより脳内のメモリは完全開放、ワーキングメモリは最大限の領域を持って利用され、前述の、ワーキングメモリの領域が狭まる現象、及びワーキングメモリの情報と脳内タスクスケジュールの情報とのミックス、これらを防ぐことができ、日々の業務を快適に処理することができるという訳である。

 また、紙面に書き記すことによってそれらの情報が可視化され、客観的に判断できるようになるという面もある。時間軸に沿ってタスクを書き記していくと、タスクとタスクとの隙間の時間、現在のタスクの総量などが容易に知れる。頭の中だけではこういった全体像を俯瞰することは難しいのではないかと思われる。

 

 

 こういった事情から人々は手帳を利用し、日々何かしらのタスクを書き込んでいるのであった。

 

 

 それらのタスク全てが、徒労に終わる運命であることを知らずに……

そのゲームはロマンシング・サガ3といった

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7/25 

 ネットで注文した本が三冊、届く。

・ゼロからトースターを作ってみた結果/トーマス・トウェイツ

・ファーブル昆虫記4 攻撃するカマキリ/奥本大三郎

・娘の味 残るは食欲/阿川佐和子

 

 バイトに行く。俺が行っているコンビニの系列は結構業務には厳しい方だと思う。挨拶は若干体育会系の勢いがあるし、出勤のタイムカードも時間厳守で打たなければならない。賞味期限が切れて廃棄しなければならない食べ物を頂くことも厳禁である。ただそれはしっかりしている、という意味でもあり、現にオープニングセールの時本部や他店舗から手伝いに来てくれた人たちは皆すごいまともというか、しっかりしていたと思う。仕事も丁寧に教えてくれたし。

 前のバイト先はゆるゆるだったな。正社員の人でも仕事がなければ退勤時間の三十分前にはあがってたし。まあ零細企業だったからな。

 バイトに行く前、多店舗のコンビニで和風のミニカレー丼を買って食べる。これはカツオの出汁が効いているのかな。というかあれだ、カレーうどんのカレーの味だ。

 

7/26

 だめだ、今日は何もしていない。書くことがない。本を読んで、部屋の片づけをして、多店舗のコンビニで海鮮焼きそばを買って食べ、バイトに行っただけだ。

 

7/27

 畳が敷き詰められた二十畳ほどの部屋。薄暗い。そこに規則正しく並べられた数十人分の座布団と、それらに呼応する茶色いローテーブルがあった。ローテーブルの上には何かしらの料理が並べられてあった。いつの間にかその宴会用に設けられた部屋に数十人の人が出現していた。俺は、この人達は俺の親戚にあたる人達だろう、と思った(しかしながら何故俺はそう思ったのだろう。そう思うだけの判断材料がその人達に付随していたはずなのだ。そう思うからにはそれ相応の理由があるはずなのだ。でも今の俺にはそれがわからない)。そしてその部屋のフロント、学校の教室で言えば黒板がある所を指しているわけだが、そこには白い人工的な膜が垂れ下げられていた。これはプロジェクターだ。なるほど、ここは和風に拵えた視聴覚室と言ったところか。ああだから薄暗くなっているのはそれでいいのか。

 俺は白膜の正面に立ってそれ相応の機械を駆使し、何かの映像を映し出そうとした。その時数人の人間が俺の周囲にいて、ああきっとこの人達は俺の作業を手伝ってくれているのだな、と俺は直覚したのだが、その人達はしゅらしゅらっと忍者のように何かの障害物に隠れていた。俺の分身だろうか。

 やがて映像が膜に映し出された。元の映像に白いフィルターをかけたかのような色合いだった。……これは俺が昔遊んでいたテレビゲームだ。自由度の高いロールプレイングゲームで、中学生の時分熱中していた。映し出されている映像の内容はというと、プレイヤーが操作する主人公はある魔族を倒さなければならない。その魔族は空を舞っている。魔族は強大である。それとは別に人間を襲う、これまた強大な竜がいる。主人公は竜に、魔族を倒すことに協力してくれないか、と交渉する。竜は最初断った。竜はかつて人間に裏切られたことがあって、だから竜は人間を襲っていた。しかし竜は、魔族が我が物顔で空を舞っているのが気に食わないという気持ちもあった。竜は主人公と協力し魔族と空中戦を交える、という、ゲーム中で人気のあるこのゲームのハイライトともいえるシーンだった。

 映像は終わった。室内は明かりを取り戻して、観賞していた俺の親戚だと思われる人々はゆっくりとした動作で席を立ち、部屋から退出しようとした。誰一人として言葉を発していなく、退廃的で生命力が欠落しているように感じた。その雰囲気から俺は、その集団の総意というものをしかと受け取った。曰く! つまらない、面白くない。……俺は落胆した。せっかくの俺の映像作品なのに……映像作品だと? 何故自分が遊んだテレビゲームの映像がお前の作品になるのだ。あれはお前が作ったものなのか。違うだろう! お前のオリジナル、お前自身が発したものを人に見せなければ、駄目だろう!

 透明なプラスチックの容器、よく屋台で焼きそばが入れられているような容器だ、その容器に食べ物が入ったものがたくさん、俺の身長ぐらいの高さにまでうず高く積まれていた。百個以上はあると思う。さっきの俺の親戚たちが残していったものだろうか。俺は今からこれを廃棄しなければならない。数人の名前も知らない他人、もしくは知人、あるいは自分たちと共に、ひたすらそれを捨て続ける。

 その数人の人間の中に一人の女性がいた。君は俺の同級生の、俺が取り返しのつかないことをした……

 

 

 

 そういえば昨日バイトで、店頭での販売期限が切れた総菜を廃棄したのだった。廃棄の作業をしている時それらを持ち帰ろうという考えが一瞬頭によぎったが、その行為は店長から固く禁止されていたし、仮に隠密にやろうと試みても監視カメラがあるので難しいし、というかまあ別にそこまで欲しいわけじゃないから別にいいかと思いながらバーコードをスキャンしゴミ箱に弁当を次々に投棄していく、無論絶え間なく来店する客の動向を常に気に掛けながら。掛けながら電子レンジの清掃、清掃掛けながら商品フェイスアップ、フェイスアップとは客が商品を購入することによって生じた商品棚の空白の部分を奥にある商品を手前に持ってくることによって解消することこれにより商品が多くあるように見えます、廃棄の途中だった、それを言ったのはオープニングの時ヘルプに来てくれた多店舗の中年の女性、丁寧に教えてくれたな、レジ点検やっといてな。はい。前出しはラーメンの所な、菓子の所は彼女がやるから。はい。前出しってフェイスアップのことか。店長は前出しというのかそこらへんできれば統一してほしい俺は言葉には敏感だから、そんな俺の内面などいちいち考慮しないのが社会、っていうかそんな拘りを持っているからお前はいつまでたっても社会不適合者なのだ。捨てちまえ。捨てちまえ!

 

 ゴミ箱にゴミ、溜まってるから捨てといてな。それ終わったらあがっていいぞ。

 

 

 

 娘の味 残るは食欲/阿川佐和子 読了。料理を作る際、目的の材料がなければ違うもので代替するという発想が頻出していて、レシピのフレームを屈託なく飛び越えていくその様からこの人はおそらくO型だろうなと予想して調べてみたらやはりその通りだった。文中印象的だったのは、阿川さんが料理の先生からティラミスの作り方を教えてもらうという場面、マスカルポーネチーズというイタリアのクリームチーズを使うのだが、どんな味がするのかと阿川さんはそれを食べてみる。すると阿川さんは、これは冷蔵庫に長く寝かせておいて硬くなってしまった生クリームの味に似ている、と思ったという。そこで阿川さんは先生に、「マスカルポーネチーズは古くなった生クリームで代替可能か」という質問を発した。したところ先生は、「否。何となれば、生クリームはクリーム、マスカルポーネチーズはチーズだからである」と返答した。

 この答えに対して阿川さんは以下のように述懐している。

“その違い、よくわからないけど、とりあえず頷いておく。”

 

フレームワークを厳守する事にさほど重要性は感じないが、周囲の環境がそれを求めていて、とにもかくもそれをしなければ事態が進展しないから仕方ない、といった形で妥協的な姿勢をとっているО型の人は結構いるんじゃないかと想像する。いやそれは血液型関係ないか?

 

この本は阿川さんの料理・食べ物に関するエッセイなのだが、あとがきに記してあった実父との思い出の部分が興味深かった。やはり俺は、「その人は何故、そのようになったのか」ということに関心があるのだ。転じてそれは、「俺は何故、このようになったのか」自問自答になる。

 しかし、その自問自答にも疲れ始めてきている。

 

 この文章はロイヤルホストカシミールカレーなるものを食べながら描いた。ロイヤルホストは雰囲気が落ち着いていて結構好きだ。カレーも美味しかった。カシミールって何の香辛料だっけ、と思って調べてみたらインドのとある地方の名称だった。香辛料……それはカルダモンか。

 

 ブックオフで本を三冊買う。

河合隼雄のカウンセリング入門/河合隼雄

仮面の告白三島由紀夫

・水いらず/サルトル

シャドウに殺人依頼

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 たった一枚の毛布に全身をくるんで胎児に様に丸まっている。その毛布をはぎ取ってしまえば一人の社会不適合者が現れる。彼は苛立っていた。後でわかったことではあるが、その苛立ちの原因と彼が何かから逃げるかのように毛布をまとっていたことは、少しの関係性があった。

 彼は自分が一体何に対して苛立っているのかを思索した。まず彼が思ったのは、何か必ず理由があるに違いない、自分を苛立たせる何かが、今自分の周囲で勃発しているに違いない、ということだった。

 彼は心理学……心理学と言っても様々な分野があるが、彼はとりわけ深層心理学、及び精神分析と呼ばれる分野に興味をもって、それ関連の書物を読んだりインターネットを閲覧するなどして知識を得ていた。それは、ややもすれば迷子になってしまう危険性を持った「独学」という行為だったが、彼はその危険性を良く自覚していた。俺が独学で得た知識なんて何の説得力も持たないだろう。大学で心理学を専攻した人たちからすれば、中途半端に知識をかじった素人にしか映らないのだろう。彼らが読み倒した書物の数や勉強に費やした時間は、俺とは比べ物にならないほど膨大なものだ、と彼は思った。人間の心の在り方が少し分かったからといって、調子に乗ってはいけない。その程度の知識を披露することは、お前以下の人間には通用するかもしれない。いや違う、お前はお前以下の人間を視認したとき、お前はその付け焼刃のテクニカルタームを披露するのだ。一時のささやかな優越感を得たいがために。彼は内省した。一旦内省をし始めるとなかなかそれが終わらず、彼自身そういった性格に悩んでいた。とにかく調子に乗ってはいけないと、彼はそう自戒した。

 しかしながら独学とはいえ心理学の本を読み漁ったことは、何か人間の在り方の普遍的法則のようなものを彼に指し示した。それは彼にとってひとつの収穫だった。その普遍的法則とは前述したとおりの、それが何故そうなったのかは必ず理由がある、という原因追究の思考だった。俺は何故眉間にしわを寄せ、身体を屈曲させ、頭を抱え込んでいるのか。何故毛布一枚を隔てた向こう側の世界を憎むことしかできないのか。好きでそうなったのか? ちがう! 俺がこうなったのはそれなりの理由ってものがあるはずなんだ。でもそれが自分で分からない。でもそれをつかむ必要があるんだ……きっと今。

 彼はベッドに横向きに寝たまま、自分の分身を出現させようと試みた。黒いガスのようなものが彼の体の周囲から濛々と発生し、それは毛布とベッドの間のわずかな隙間から、ボールの中の空気が抜けていくようににゆっくりと外に流れ、部屋の床にサークル上に沈殿した。その黒い気体は、氷柱が溶けていく映像を逆再生したかのように、人型を成していった。つかみどころがないあやふやだった気体は、今ははっきりとこの世界に己の存在を主張する個体となっていた。それは無機質な黒い物体で、いわば彼の影法師だった。

 影法師はベッドの上で毛布にくるまっている社会不適合者を観察し、瞬時に彼の苦しみの原因を見抜き、それとなく彼に耳打ちした。

 

 

 始めに虫の鳴き声を知覚した。それは二種類以上の虫が同時に鳴いていたのだが、彼は昆虫に明るくなかったし特別な興味もなかったので、セミが鳴いているな、としか思えなかった。彼は生命体のメカニズムを知ることに喜びを得るような知的好奇心は持ち合わせていなかったので、この虫の鳴き声の正体を明らかにしようとは思わなかった。しかし人間の心理という、およそ科学には程遠い現象には興味があったので、今自分が感じている不快感の正体を解明したいと思った。彼は自問した。俺の苛立ちはこの虫の鳴き声に起因しているのだろうか。否、と割合瞬時に自答した。何故ならば極めて自然だから、それは存在することに何らの疑問を持ちえない、という意味での自然だが、鬱蒼とした夏の森の中で虫が鳴いているのは、夜が明けたら太陽が昇ってくるのと同種の自然性を持っているからだ。その自然の成り行きに苛立ちを覚える人間がどこにいようか。いや、いるはずはない、と彼は思った。いや、とまた彼は思った。確かにうるさいにはうるさいのだ。しかしそのうるささで感じる不快感は、今俺が感じている不快感とは別種のもののようであると彼は思った。

虫の鳴き声で、俺は苛立っているわけではない。

 次に彼の耳が捉えたのはけたたましく響く子供らの声と、それに付随して発生している家の廊下を踏み鳴らす音だった。今帰省している姉夫妻の子供らであった。子供は二人、一人は女、一人は男。ただただ廊下を走り回ることの一体何が楽しいのか、ひょっとしたらこの子供らの喧騒が苛立ちの原因なのだろうか。またしても否。何故ならこの子供らもまた自然性を持った存在だからだ。普段の住まいとは別の空間に居ることが二人の気分を高揚させているのだろう。その子供らの年齢と同じ時分、きっと俺もそうであったはずだし、そういう感情の変化は先ほどの虫の鳴き声と同様にごく自然なもののように思えた。俺はこの子供らに対して苛立っているわけではない。

 次に飛行機が飛んでゆく音が聴こえた。その飛行機を彼が実際視認したわけではないが、それ以外には考えられないだろう、その音は彼の部屋の天井のはるか向こう側から、この家がある集落一帯、いやおそらくそれ以上の範囲に鳴り響いていたが、まさかSFみたいな巨大生物が飛来しているわけでもあるまいし……と、彼は別にそんな現実逃避的な空想をしたわけではなく、ただただ、ああ飛行機が飛んでいるなあ、と思った。彼はその飛行機の音から、漠とした世紀末的ニュアンスを感じ取った。ああ、きっと俺はこの飛行機の音で憂鬱な気分……そうだ、この気持ちは苛立ちだけじゃない、多分にメランコリック成分が混じっている。複雑な感情だ。見た瞬間にその色を識別できるような単色のものじゃない。水色のカーテンは水色で、卵焼きは黄色だって思えるような簡単なことじゃない。それがどれほどの数なのか分からないが、複数の色が混ざり合って、でも完全に混ざり合っているわけじゃなくてマーブル調になっている。それをはっきりと「○○色」と言えないように、俺は、自分の感情がわからない!

 決して美しいものではない、その何色だか分からないものは。吐瀉物のようなものだよ。誰もが忌み嫌うものだ。あの上空に飛来している人工物が放つ音が俺の感情を攪拌して感情の複合体を作っているのか。そうなのだとしたらどっかに墜落でもしねえかな……腐った思考に片足を突っ込みかけたが、瞬時にどうやら違うらしいと結論が出て、正気を取り戻した。あれも自然だ。あれを形作っている物質は自然のものではないだろうが、その自然ではないものが空を飛行しているのは、あの空に雲が浮かんでいるのと同じくらい自然だ。何故ならあれは空を飛ぶことを目的として作られたからだ。もっと言えば空を飛んで人を運ぶことなのだが。あの飛行機に乗っている人達は何の目的があるのだろう、どこからどこへ行くのだろう。彼は一瞬そのような思索にふけようとしたが、自分の不快感の正体がそれではないと分かるとどうでもよくなって、やめた。

 なかなか結論が出ないまま時間だけが過ぎた。飛行機はどこかへ行ってしまって、空を覆っていた音は彼の耳からフェードアウトしていき、やがて消失した。

 

 

 飛行機が消え去った後も彼の耳は色々な音を拾った。例えば、彼の母親が姉の子供らに食事を提供するため、何かしらの食物を切断しようと包丁をまな板に打ち付けた時に発生するリズミカルな音。例えば、夏休みの宿題である算術の問題を解こうとするも、思考がまだ発達していない為正解がわからず没論理的な勘に頼った当てずっぽうな解を必要以上の元気さで回答する子供らを叱責する、その子供らの父親、異なる言い方をすれば姉の夫の野太い声。例えば、その二匹にとっては姉の家族ら四人は自分たちの生活環境を脅かす存在にしか映らないのだろう、突然の来訪者により半ば狂乱状態になり家中の廊下を走り回り、私たちを救ってくださいと哀願するかの如く鳴き声を発する、普段はめったに鳴かない二匹の猫の声。そのいずれかの音を知覚すれば彼はすぐさまこれが私を苛立たせているのかしらと自問自答したのだが、否、否、否。どれも今彼の心に在るぬらつきの正体ではなかった。

 

 

 最後に彼の耳が捉えたのは人間の声であった。しかしそれは人間であると言えば人間だが、人間でないといえば人間ではなかった。その声の質から男性であることが分かったが、その男性は平面の存在で私たちがいる空間に一方的に話しかけていた。また彼は突然消失したかと思うとこれまた突然私たちの眼前に現れたり、しかもその消失の前後で彼の大きさが変わっていたりした。消失している間も彼の一方的な話は続いていて、その話はフレンドシップとは無縁の、どちらかと言えば定められたものを朗読しているような堅苦しさがあった。毛布にくるまっている方の彼、社会不適合者の彼は、その音の発生源から距離があるため輪郭が曖昧になっている平面人間の声を聴いて、ああ、これは今日の現在の時間以降の、辺り一帯の空模様の変化を予報し人々に警告を与えているのだなと思った。また、それらの情報を必要とし、それを聴いている人間がいるのだな、と思った。その時であった。

 彼の頭の中に、直観が走った。

 「直観」というある種超越的な人間の能力にはよく「鋭い」という修飾がなされるが、彼のそれが鋭いのかあるいは鈍いのかは分からない。ただ答えをつかんだことは確かだった。何故なら直観というのは、思索や推論をすっとばして直接的に答えをつかんでしまう能力だからだ。彼は今やっと、ぬらつきの正体を鷲掴んだ。

 「音」なんかじゃなかった。音が彼を不快にさせているのではなかった。その音を聴いている「人間」がいて、その人間の存在こそが、彼の心にぬらつきを生じさせていたのだった。

 

 

 彼は布団をはねのけがばと起き上がった。そこに影法師はまだいた。寺や神社に祀られている、それを見たすべての者を威圧する銅像のように、そこに屹立していた。感情が読み取れるような表情は何もなかった。彼はその影法師に命令した。

 一階にいるあいつを殺してきてくれないか。やり方は任せるよ。なんかそういうの得意そうに見えるし。凶器は持っているんだろ? 今は隠しているだけで。あいつの名前? ……さあ、知らない……おっとそれは嘘だ。あんたに嘘をついてもしょうがないな。本当は知ってる。もちろん知ってるよ。だけど言いたくない。絶対にね。……何でかって? ……それは知らない。理由なんて知らない。理由なんて別にない。

 知らないって言ってるだろ。いいからお前はあいつを殺してくればいいんだ。早く行けって!

 

 

 

 影法師は何も言わない。

3時間で100円とは安い

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  床、天井、壁、デスク、それらは全て、事務処理以外のことを考えさせない為に作られたような、飾り気の無いグレー。その空間の片隅に、何者かに案内されるように俺は移動する。その職場の制服であろうものを着た、俺と同じくらいの年齢の女性がデスクに座っていて、仕事の内容を教えてくれた。この仕事は「攪乱(かくらん)性○○」というソフトを使って、パソコンで何か作業をするらしい。どうやらこの女性が俺の指導役のようだ(俺は今からここで働くのか)。

 女性は俺に一枚の紙を渡し、空欄の部分に自分の名前を書けと命じる。その紙はメモに使うような小さな紙だったが、何か文章が書かれており、ざっと見てこれは何かの誓約書だと俺は判断した。女性の言われた通り俺は紙に名前を書いた。

 

 まず若干緑色を帯びた大洋が見えた。それはあまり美しいとは言えない色合いだった。その大洋をとらえる視点は手前の方にゆっくりと退いていき、やがて俺自身の視点と合一した。俺は入り江にいた。視野の奥の方から順に、浜辺に静かに波を寄せる海、キラキラと眩しい浜辺、そして俺がいる茶色い大地が見えた。俺は岩壁をショベルカーでくりぬいたような、浅い洞窟のような所に体育座りをして海を眺めていた。俺の後ろは土の壁だった。

 入り江には俺以外にも人間がいる。結構な人数だ。二十人くらいはいるのだろうか。皆何をしているんだろう。

 誰一人として会話をせず、静寂な時間が流れた。おそらく波の音もなかった。

 

 

 

 シッダールタ読了。主人公シッダールタの内的世界の成長・変化・機微を、全編にわたり東洋的な曖昧な言い回しで表現している、といったところだろうか。頭ではなく魂で理解するような本だった。

 この本がつまらないという訳ではないが、直観に頼って理解する部分がほとんどで、もっと西洋的な、厳密かつ理論的な部分が欲しかった。

 途中、シッダールタが遊女から快楽の施しを受け、俗世間を知るところは印象に残った。

 このヘッセという人も内向的直観型だろうな。作品を読んでそう思うところもあるのだが、それ以前に彼の顔写真を見ても強くそう思う。実に直観が主機能そうな顔つきである。この人はユングとも会っているらしいな。

 

 

 

 やがて入り江に船が出現した。そうか、俺たちは船を待っていたのか。

 俺たちは船に乗ろうと、海に設立されていた桟橋に移動する。俺の前方にも後方にも人が並んでいた。その桟橋の終端から船に乗り込もうとしたのだが、桟橋の終端と船の入り口との間は七メートルほどの間隔がとられていた。船の入り口からはタラップが伸びていたが、それは何故か海中に水没していて、まるで意味がない。船に乗り込むには少し泳がなければならない。

 その時、三十代くらいの男性の声が聞こえた。

 大丈夫です。君が背負っているリュックに入っている枕が、浮袋の役目を果たすので。

 ふと前方に目を向けると、赤いチョッキのようなものを着た男性が、船と桟橋の間の海に浮かんでいた。ライフセイバー? インストラクター? この人が言ったのだろうか。俺は今リュックを背負っていて、その中には枕が入っているのか。そう思った時、確かに俺はリュックを背負っていた。

 俺は躊躇することなく海に飛び込んだ。それは海がもの凄く綺麗なウルトラマリンだったからだ。海は猛暑の日のプールのような温度で、俺は海にプカプカと浮かんだ。俺たちは船に乗り込んだ。

 

 テーブル、椅子、カウンター、床、壁。それらがすべて重厚な木材で作られていた。天井につるされたランプがそれらをかろうじて見える程度に、暖色に染めていた。船の中は都会的な雰囲気のダイニングだった。ぼちぼち賑わっているようだった。

 俺は中学生の時の同級生の、陸上部員の男子と行動を共にしていた(俺は特に彼と親しいという訳ではない)。彼は二人掛けのテーブルにいきなりドカッと座った。俺は逡巡した。俺は彼と一緒に食事をしなければいけないのだろうか。だとして、俺は彼と何を話したらいいのだろう。彼は俺の考えなど意にも解さないように、上機嫌にメニューを閲覧している。迷った挙句、その彼の対面の席に座った。すると彼は席から勢いよく立ち上がって、どこかに行ってしまった。俺は一人取り残されてしまった。

 このダイニングには終始人々の会話が途切れることなく、起こっている。それは空気のようにあって当たり前といった様に、起こっている。あるいは背景の一部であるかのように。皆、一体何について話しているのだろう。仕事や上司の愚痴だろうか、異性との戯れの話だろうか、ファッションの流行のことだろうか、ペットのことだろうか、夏休みはどこにいこうかしらなのだろうか、アルバイトが思っていたよりきつくて辞めたいのだろうか、蟷螂が本を投げつけてきたことなのだろうか、インドに行って東洋的思想にまみれることなのだろうか、今食べている食事のことなのだろうか、「美味しい」の客観的基準というのはあるのだろうか、学校の課題のことなのだろうか、この船はどこに行こうとしているのだろうか、車検のせいで貯金が底をつきそうなのだろうか、政治のことなのだろうか……いや、こんなカジュアルな場所で政治談議などはしまい。とにかく俺は人々の会話に参加することができない。参加できるだけの、適切な言葉を持っていない。それらを習得する機会を得ぬまま、いや、自分から避けてきた。内省はもういい。俺は一人取り残されて、それを別に寂しいとは思わない、といったら嘘になる。でも寂しいなんて気持ち、もう麻痺してるんじゃないかしら。あまりにも寂しすぎて、寂しいことを寂しいと感じなくなっているのではないかしら。

 俺は孤独をごまかしたかった。少なくなくとも対外的には。今俺がいる席はダイニングの中央で、人目に付く。できれば端の方に行き、壁を背にして飲んでいたい。さも孤独が友人であるかのように。背後に何か空間があるのは嫌だ。移動しよう。

 レジが見える。そこに和風のファミリーレストランの制服のようなものを着た男性の店員が二人いた。先程の洗練されたダイニングに比べるといささか大衆色を感じたがそれはいいとして、そのレジの前の床がおかしなことになっていた。何か暑い蒸気が濛々(もうもう)と発生しているのだ。その床をよく見ると、縞模様に木材があって、木材と木材の間は隙間があった。蒸気はその何もない隙間から沸き起こっていた。何かいい匂いがした。炊き立てのご飯のような匂い、いや、それそのものの匂いだった。床の上には米粒が山のように盛り上げられていて、先ほどの男性の店員が時折その米を素手で攪拌(かくはん)していた。この床の上でご飯を炊いているのだ。……なぜ? ここは人の通り道で汚いと思うのだが。というか通行の邪魔になるのでは。そういうサービス、というか伝統があるのかな。俺が知らないだけなのかもしれない。無知の知

 

 ご飯の匂いはとても上質な、コシヒカリのような匂いがした。しかし俺はコシヒカリを食べたことはない。

 

 

 

 今日はバイトが休みだったから、気分転換のため車で東の方へ行った。東の方角には去年初詣に行った神社がある。

 まずその神社の付近にある駐車場に車を停めたのだが、駐車料金は百円/三時間と、安かった。そのまま徒歩で神社まで向かった。神社の入り口付近に着た瞬間、急にその神社への興味が失せて、踵を返して街中を散策した。街中の家屋はシャッターで閉められているところがほとんどだった。曲がり角をいくら曲がってもシャッターが見えた。

 途中、街路に五センチくらいの黒い虫がいた。体表には星のような黄色い斑点があった。こんな虫が部屋の中にいたら即刻排除するのだが、屋外ではそのような邪険な気持ちは少しも起こらず、むしろささやかな……なんだろうな、適切な言葉が出てこない。俺がまだその言葉を知らないだけかな。

 

 駐車場で百円を支払って、次にこの付近にあるインドカレー屋に向かった。店内には六人ぐらい、二つのグループかな、それくらいの客がいた。俺は入口に近い席に座って、ランチコースのマトンカレーのセット、マサイティッカという肉料理を頼んだ。

 マトンカレー……美味いじゃないか。この前イオンで食べたバターチキンカレーよりも美味いぞ。そっちよりも安いし。マサイティッカ……これはあんまりだな。肉にあまり味がついていない。これだったら日本のありふれた唐揚げの方が美味いな。

 店内にはBGMがかかっていなかった。そこは改善してほしいな、と思いながら店を後にした。

 

 カレーは美味かったが、道中楽しいと思う出来事は一つもなかった。この外出が気分転換になったかどうか、俺は判断がつかない。

水没した街を泳ぐ

【七月二十日】

 これは昨日の話になるので、一旦昨日に戻ります。

 

【七月十九日】

 本を買った後、その本屋の近場の公園に行って、車の中で買った本を少し読んだ。車の窓をすべて全開にする。よく晴れていたが何故かそんなに暑くない。何ものにも属していない風が車の中を、右から左に吹き抜けていく。俺はその風を存分に味わった。気持ちよかったが楽しくはなかった。

 車のフロントガラス越しに、五人の老女がほぼ並列の状態で歩いているのが見えた。そのうち一人は着物を着て、黒い海星(ひとで)のような日傘をさしていた。順当に社会での経験を積んだ者なら、あの五人がどういった団体で何の目的を持って集っているのか、おおよその見当はつくのだろう。だが俺はそれがないものだから、彼女らの目指すところなど見当がつかない。だが楽しんでいるのはわかった。

 拡声器で増幅された表面にざらつきのあるような声、女性のアナウンスが、わずかに聞こえた。この近くには去年設立されたプールがあるのだ。猛暑の日に行こう。

 

 家に帰った後、部屋の中の要らない物を段ボールに収め、物置にしまった。その時、物置の中にしまってあった黒いローテーブルを探した。

 少し探した後、あれはリサイクルショップに売ってしまった事を思い出した。

 

 

 

 ここがどこなのか分からない。暗い。車の中なのかな。母親が俺にテストの結果が書かれてある紙を見せる。何枚もだ。そのテストは満点が五百四十点だったり五百点だったりとバラバラだったが、どれも俺の成績は百点とかで、悪かった。

 母親がこう言った。

 もうお金がないから、送り迎えはできないかもしれない。

 

 俺は思った。

 今更勉強の話はやめてくれ。もう何もかも手遅れなんだ。

 

 

 

 戻ります。

 

【七月二十日】

 車検の為ニッサンに行き車を渡す。代車として軽の車を受け取る。

 ジキルとハイド読了。中盤、アタスン一行がジキル博士の部屋の扉を破壊して侵入しようとするシーンはサスペンス調で面白かったが、それ以外の所はあまり楽しめなかった。

 夜、イオンにバターチキンカレーを食べに行く。ウェイターがいないようで、料理人が直接注文を取りに来た。普通の味だった。今日は研修無し。

 

【七月二十一日】

 何もやる気が出ない。クソが。全て消えて無くなれ。

 

 

 

 部屋の中、整理。要らなくなったものを物置に片付けたり、ゴミに出したりした。「要らなくなったもの」について説明したいが、何故か書けない。

 俺の部屋から必要ないものが少しずつ消えていく。

 アルバイト初出勤(店オープニング)。ひっきりなしに客が入り、何がなんだかよう分からぬ。本部の人? が多数いて、いろいろ教えてくれたので何とかやり切った。

 疲れた。また下肢全体が疲労している。アイシングをする。

 

【七月二十二日】

 アルバイト二日目。俺のバイト先のコンビニは厨房があって、何故あるのかといえばファーストフードのような簡単な調理をしてそれを客に提供するというサービスを実施しているからであり、なので働いている感覚としては半分飲食店のようなものだ。飲食店でアルバイトの経験がある方はわかると思うが、ピーク時の忙しさはすさまじい。

 働いている間、皆何をモチベーションにして仕事をしているのだろう、と思う。

 

 バイトは十七時から二十二時まで。バイトが始まる時間まで俺は何もやる気が起こらず、ベッドの上でただ本を読んでいた。いや、ただ文字を追っているだけだった。それは読書とは言えなかった。空虚でしかなかった。

 

【七月二十三日】

 片側二車線の道路が、石造りの柱が、コンビニが、民家が、水没している。水に浸かっている。その水はとても澄んでいて、直接飲みたいくらいに綺麗だった。人、車、犬、鳥、虫、風、それらは全て、消え去っていた。ささやかな陽光、夏場の午前五時くらいの陽光が射していた。何の音も聞こえない。一切合切が静寂に包まれている。石造りの柱はもう一つの二車線の道路を支えていて、それは直接駅につながっている道だった。ここはその駅の周辺の道だ。水面は石造りの柱の約三分の一、地面からの高さにして約四メートルに張っていた。風呂場の浴槽に張られた水のように、水面に波は微塵も立っていない。立つ様子もない。

 俺はその静寂の空間の中、駅から遠ざかる方へと泳いだ。体力に自信はないが、泳ぐのは嫌いではない。しばらくすると、水の流れが存在するところにたどり着いた。説明が難しいのだが、その水の流れの方向は俺から見て右から左に向かっている。そして、今俺が浮いている水とその流れている水はつながっていて、なので今俺がいる水はその流れの影響を受けても良さそうなのだが、二つの水は全く別個の存在のように、何の干渉もなく在った。(上手く伝わってないと思うので別の表現を用いて説明する。アルファベットの「T」を思い浮かべてほしい。真ん中の縦線は俺が浮かんでいる、何の流れもない水の経路を表す。横線は流れがある水の経路で、先ほども言ったように右から左に流れている。俺は縦線の一番下の部分から上に向かって泳いでいき、今横線とぶつかる位置にいる。で、横線の流れがある水と縦線の流れがない水はつながっているのだから、縦線の水も横線の水の影響を受けてある程度流れが発生してもよさそうなのに、縦線の水は微動だにしない、ということだ。横線の水は確かに水なのだが、縦線の水は寒天のようだった)。

 数人の人間が、その水に流されていくのが見えた。その速さは自転車で走行するのと同じくらいだった。人間に何か赤い物体が付随しているのが朧気に見えた。俺は、これは水泳の大会をしているのだな、と思った。

 その水の流れの中に俺は入った。そして流されていった。それが能動的に自分の意志でそうしたのか、受動的に巻き込まれたのかは分からない。

 

 地上から百メートルほどの高さにある道路、ここは国道だな。水の流れに乗って、今俺は国道を泳いでいる。道路の両端には二メートルくらいのグレーの敷居がある。それ以外には青空を覆っている雲しか見えない。

 道路の左側に、地上に降りるかのように作られた階段があった。俺はその階段の方に流れていった。

 階段は途中で消失していた。宙に浮かんでいる状態だった。俺はどうしていいかわからず、そこで静止した。

 その時、そっちじゃない! という声が聞こえた。

 声が聞こえた方、すなわち上の、俺が泳いでいた国道の方を見上げる。国道の両端の敷居から顔をのぞかせている女性がいた。その女性はテレビのバラエティ番組でよく見る、グラビアアイドル出身のタレントだった。

 

 水は干上がっている。元の街並みに戻っていて、太陽の光は夏場の午後二時くらいの強さだった。人や車もぼちぼち存在しているようだった。

 俺は最初いた駅近くの大通りにいて、歩いていた。何かの店に着く。小豆色の制服を着た三十代くらいの女性の店員が現れて、ここの店ではやっていません、あちらの店に行ってください、と入店を拒否される。俺はそのぶっきらぼうな対応に不満を持った。

 踵を返して女性店員が指示した店の方へ歩いていく。その店の外壁には赤い旗が立てかけられていて、いくつかの文字が記されていた。それらの中に、「湯」という文字があるのを俺は視認した。俺は体を洗いたいのだな、と思った。

 その時、大通りの反対側に着物を着た老女が現れた。その老女は何かの建築物の中に入っていったのだが、途中で手や足が分断され、それが自身の体に変な方向で再びくっつき(出血はしていない)、体全体が四角い箱に無理矢理詰め込んだかのように四角くなり、体を微動だに動かさず床をスイーッと滑らせて行った。ルンバのような動きであった。また、昔のアクションゲームのバグ画面を見ているかのようでもあった。

 老女は滑ったまま地下鉄のような、地下に続く階段に吸い込まれていった。そしてその階段を一段下るたびに、ダン、という音が聞こえた。老女は一定の速度で滑っていたから、ダンダンダンダンダンダンダンダン、とリズミカルに音が鳴った。そして、パキョッ、という音が聞こえ、その後は何も聞こえなくなった。俺は、あれは頭蓋骨が粉砕した音だな、と思った。

 

 室内にいる。先程の「湯」という旗が掲げられていた店に俺は入ったのだろうか。カウンターがあって、その中に三十代くらいの男性、短髪で髭を生やした男性がいた。その男性は俺に向かって、

「そのくらいの金しか出せないんじゃあ、一番ランクが低い娘しか案内できませんよ」

と言った。

 どうやらここは風俗店らしい。

 浴室内に入る。そこには黒人のように黒い肌をした、しかし顔つきは日本人の女性がいた。年齢は俺と同じくらいだろうか。浴室にお湯が張ってあり、そこにタオルにくるまれた赤ん坊が浮いていた。あの女性の子供なのだろうか。

 俺はその黒い肌の女性から、快楽の施しを受けた。内容に不満はなかったが、彼女の体から汗とか垢とかいった分泌物の臭いがして、それが少し不快に感じた。

 

 白い床、壁、天井。それらにはグリッドが刻まれていて、床は蛍光灯の光を反射していた。ここは病院だな。

 布団がかけられたベッドがある。その布団から、何か茶色い山のようなものがはみ出しているのが見えた。……これは犬だ。犬の背中だ。柴犬だろうか。犬の頭は布団の中に入っていて見えない。何故ここに犬なんかがいるのだろう。

 俺は犬の背骨に沿って、何か冷たい物体を宛がった。そして布団の中に入り、犬と一緒に寝た。

 

 

 アルバイト三日目。少し慣れてきたかな。