rememberのゆめにっき

文筆の訓練のようなもの

蟷螂が本を投げつけてきた

【七月十三日】

 以前のバイト先から来てほしいと要請があったので出勤する。

 バイト先のことを説明する。葬儀屋の仕事なのだが、直接遺体を扱ったりはしない。葬式の時には飾るものが色々あり、そのうちの「花環」と「盛籠」を俺たちは扱っている。部門で言えば「造花部」になる。他にも細かい商品はあるのだが大体よく出るのはその二つだ。

 花環というのは葬儀場の屋外に飾るもので、まず高さが五メートルくらいの足を組み、そこに円形のパネルをひっかけ、花環用の足場に紐で固定する。そしてそのパネルの下の部分に、その花環を差し出した人や団体・会社の名前が書かれた札をぶら下げる。足場は大体葬儀場の駐車場にある。

 パネルの表面には小さい造花が無数に取りつけられてあって、中央には「弔」の文字がデザインされたプレートがある。花環の大きさは直径が七.五尺のものと八尺のものとがあり、当然八尺の方が値段は高い。一尺は約三十センチだから、七.五尺は約二百二十五センチ、八尺は約二百四十センチになる。十五センチの差しかないから感覚だけでは区別がつき辛いのだが、パネルの表面のデザインがそれぞれ違う。七.五尺の方は白・緑・紫の造花があしらわれてあるのだが、八尺の方は白・緑の造花しかあしらわれていない。そこを見れば容易に区別がつくという訳だ。

 パネルは三人の大人が隠れられるくらいの大きさなのだが、平べったいのであまり重くはない。しかしその分風の影響を最大限に受ける。風が強い日はかなり骨を折らなければならない。

 この花環が死者に対してどういう意味合いが込められているのか俺は知らない。

 

 盛籠は葬儀場の中、実際に葬儀を行うホール内に飾るもので、円錐を水平に切ったような形の台座に、直径八十センチくらいの丸型のパーツを取り付ける。丸型のパーツには窪みがあって、そこに盛籠の中身のダミーを収納する。丸型のパーツの周辺の部分に左右一対の造花を取り付け、パーツの上部にその盛籠を差し出した人の名前が書かれた札を指す。そしてその札の上部に作り物の鳩を取り付ける(もちろんこの鳩の意味も知らない)。これをホールの両サイドに置く。一個の高さは百三十センチくらいだ。

 盛籠は花環とは違って、現品(食べ物)を相手に送るものだ。ここではオイルセット、ビールセット、清酒セットの三つを扱っている。中身はそれぞれの名前の商品と、あとはポテトチップとかコーヒーとか海苔とかが入っている。式の時に飾るのは現品ではなくダミーであり、式が終わった後当家に本物を持って行く。飾るのは花環ほど難しくはないがかなり数が出ることもあって、その時は大変だ。

 今日は二つのホールを周った。疲れた。両下肢、特に前脛骨筋がひどく疲れている。

 

 

 

 狭い部屋だ。白い無機質な壁がこの空間を圧迫している。窓はどこにもなく完全な密室だ。四畳半くらいかな。照明がピンクと紫を混ぜたような色合いで、部屋全体を淫靡に染めていた。空気がよどんでいるように感じた。

 部屋の両サイドに簡易なベッドがあって、左側に父親、右側に母親が横たわっていた。父親の顔を覗き込む。……これが俺の父親か? 頬がこけて、別人のようだった。

 ……まるでもうすぐ死ぬみたいじゃないか。

その時どこからともなく、

「○○ちゃん(子供の名前)はどこ!?」

という声が聞こえた。これはバイト先の事務員の嵐山さんの声だ。それを聞いて横たわっていた母親がガバッと跳ね起きた。学校や病院などの宿直勤務で寝ていた職員が、警報のサイレンが鳴った時にする反応のようだった。

 俺は嵐山さんに対して、こう思った。

 いちいち母親の手を煩わせるなよ! 自分で探せよ!

 母親に対しては、こう思った。

 お前もいちいち反応するなよ!

 

 ここの廊下は見覚えがあるな。あそこの教室は理科室だ。その手前にある教室は……美術室だったっけ? とにかくここは俺が通っていた中学校だ。中学校の二階だ。

 一階へと降りる階段が見える。それは最初十段くらい下りたところで踊り場を迎え、そこから九十度左側に進路を変え七段ほど続く。再び踊り場を迎え、九十度左側に進路を変え十段ほど下りて一階にたどり着く、という構造だった。

 その階段に、何かの生き物がいるのが見えた。その生き物は、カツーンカツーンと、俺がいる二階にゆっくりと、焦れったくなるくらいの緩慢な動作で上っていた。

 階段の壁には窓があって、屋内は曇天の日中くらいの明るさだった。それはその生き物を視認するには充分すぎるほどの明るさだった。俺と同じくらいの大きさの緑色の蟷螂が、そこにいた。

 蟷螂ほど猟奇的なイメージを持った生き物は他にいないのではないのだろうか。獲物を捕らえるために爪を持った動物はいるが、その爪は手足の先端についているもので、その大元の手足というのは歩行・走行・跳躍などの移動、植物・木の実などを採って口に運ぶ捕食補助行為、じゃれあうなどのコミュニケーションなどと実に多彩な用途があるわけだが、この蟷螂の手足は鎌そのもので、完全に相手を切り刻むためだけに存在しているじゃないか。それ以外の用途が思いつかないぞ。しかも交尾の際はメスがオスを食べるそうじゃないか。そんな生き物他にいるか?

 俺は廊下の中央にいる。蟷螂は階段を上り切って廊下に出て、約十メートルの距離を置いて俺と対峙した。蟷螂は昆虫特有の予測がつかない動作で、だが確実に俺に向かってゆっくりと、カツーンカツーンと迫ってきた。俺をバラバラに切り刻んで食べようとしていることは明らかだった。コミュニケーションはとれそうもなかった。九メートル、八メートル、七メートル……俺と蟷螂の間はどんどん狭まってゆく。

 俺はいつの間にか消火器を手にしていた。それに気づくと俺は蟷螂の顔めがけてそれを投げつけていた(実は消化器の中身を噴射しようとも思ったのだが、使い方がわからなかったのだ)。蟷螂は少しひるんだだけで、致命傷を与えることはできなかった。俺は踵を返して退避した。その先には蟷螂が登ってきた階段と同じ構造の下りの階段があった。俺はその階段を下って、最初の踊り場の所で蟷螂を待ち構えた。

 再び俺の目の前上方に蟷螂が姿を現す。すると蟷螂はそれをどこで手に入れたのか、十冊くらいの辞書ほどの厚さの本を持っていた(…どうやって?)。蟷螂はその本全てを、下方にいる俺めがけてぶん投げた。