rememberのゆめにっき

現実のことも書くが

脳内タスクスケジュールとワーキングメモリ

お題「手帳」

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 どのような身分の者であろうとおよそ人間社会に携わって生きていこうと思うならば、日々それなりのタスク、つまり用事や課題といったものをこなす必要が出てくる。例えばそれは、取引先との商談、新企画の会議への参加、発注依頼の電話を掛ける、始末書の作成、業務終了後に仕事仲間と飲みに行くなどの、他者との関わりを持ったいわば公的なタスクであったり、あるいは、犬を散歩に連れていく、スーパーに食材を買いに行く、部屋の掃除をする、車検の為車を車屋に預けるなどの、自分の生活に根付いたいわば私的なタスクであったりする。

 自分が関わるコミュニティ・人物の数が多いほど、それに比例してタスクも増えていくのではないかと推測する。そこで問題になってくるのは、そのタスクの管理である。

 もし自分の頭の中だけでタスクのスケジュールを組む場合、それだけで脳内のメモリ、つまり容量を食ってしまい、他の作業に弊害を与えてしまうことが考えられる。どういうことかというと、何かしらの作業をするときはワーキングメモリ、つまりその作業に関する情報を一時的に保存しておく領域が必要であり、脳内でタスクスケジュールを組んでいる場合、そのワーキングメモリの領域が狭まってしまい、作業効率が落ちるということである。

 例えばコンビニエンスストアのアルバイト業務での場合を考えてみる。この業務はレジに客が並んでいないか常に注意を払いつつ、商品の品出しをしたり店内の清掃をしたりレジの金額の点検をしたりと、常に3つや4つのことを同時に処理しなければならないマルチタスクの状態である。言うまでもなくワーキングメモリの領域もそれ相応に必要になってくる。例えば床にダスタークロス(モップのようなもの)を掛け清掃している時に客がレジに来訪した場合、一旦その清掃を中断してただちにレジに向かわなければならない。その時、「自分は床のこの地点からこの地点まで清掃した。だから次はあの地点からあの地点まで清掃すればよい。一旦このダスタークロスはこの壁に立てかけておこう」という情報がワーキングメモリ内に保存される。そしてレジに行ってしかるべき処理をし、再びダスタークロスを手にして床の清掃に取り掛かる。これが正常の状態である。

 しかしもし脳内で日々のレベルでのタスクスケジュールを組んでいた場合、そのせいでワーキングメモリの領域が脅かされているのでこうはいかない。具体的に言うと、先ほどの「」内の情報が、「一旦このダスタークロスはこの壁に立てかけておこう」といった具合に半分しか保存されず、あふれ出した情報は全て切り捨てられてしまうのである。したところ、ダスタークロスをどこに置いたかの情報はあるのでそれを再び手にすることはできても、進捗状況の情報が失われているからどこから始めていいかわからず、「?????」という状況に陥ってしまう。とりあえず全ての面積を掃除すればいいのだから端から順にやっていこう、という考えで再開しようとしたところまた客がレジに来訪し、清掃を中断しレジに向かう。この時も先ほどと同じように作業の情報がワーキングメモリに保存されたのだが、今度は、「自分は床のこの地点からこの地点まで清掃した。だから次はあの地点からあの地点まで清掃すればよい」という進捗状況の情報しか保存されず、ダスタークロスをどこに置いたかの情報は保存されない、という状態になってしまう。レジの処理を終えて再び清掃をしようとし、進捗状況の情報は保存されているから清掃のスタート地点はわかるものの、ダスタークロスをどこに置いたかの情報が失われているのでそれを見つけることができず、またしても「?????」という状況に陥ってしまう。コンビニだから店内はそう広くはなく、だからダスタークロスはすぐ見つけることができて、さあ再開しようと思ったところまた客がレジに来訪し……という地獄のような状況が続き、業務開始から3時間半たっても床清掃とレジでの客対応しかやっておらず、そのせいで床は無駄に綺麗になっているものの、賞味期限が切れた商品の廃棄などの優先順位が高いタスクが全くこなせておらず、仕事が全くできないダメ男とみなされ、店長から解雇宣言をされる、ということになってしまう。

 実はこれはまだ症状が軽い方であり、重症になってくると、日々のタスクスケジュールとワーキングメモリの境界が極めてファジーな状態になってしまい、それら二つの領域が混然一体となり、夢遊病者のような行動をとってしまう危険性が出てくる。例えば、「明日の15時に飼い猫を猫病院に連れていく」というタスクスケジュールを頭の中に組んでいるとする。そしてコンビニのバイトで商品の品出しをしている時、商品棚にある猫缶を見て飼い猫のことを連想し、ふと時計を見ると14時55分、あっ、猫を病院に連れて行かなければ、と、本来は明日の話であるのだが現在こなさなければならない情報が格納されているワーキングメモリ内に混入しているため、今すぐやらなければならないと錯覚、20時退勤の業務を無断で15時に退勤、すぐさま帰宅し猫を病院に連れていくも、予約は明日ですよ、と猫病院のスタッフに受診を断られ、あげく無断退勤を知って激怒し鬼神のようになった店長から解雇宣言をされる、ということになってしまう。

 これは脳内タスクスケジュールの情報がワーキングメモリに介入したケースだが、逆のケースも考えられる。例えば何かの作業をしているときに店長から、「その作業が終わったらレジの点検をしてほしい」と頼まれたとする。すると当然ワーキングメモリ内に、「この作業が終わったらレジ点検をする」という情報(というよりはタスク)が格納される。そしてこの情報が幽霊のように浮遊、脳内の日々のタスクスケジュール内に侵入し、「明日の15時に飼い猫を猫病院に連れていく。この作業が終わったらレジ点検をする」というスケジュールが出来上がってしまう。その通りに行動しようとして猫を猫病院に連れていくものの、診察が終わった後にさも当たり前のようにその病院内のレジの中に侵入、無言でドロワーを開け札束を数え始める、といった奇行に走ってしまい、獣医から白い眼で見られあの人は狂人であるという噂が立ち、その噂を知った店長から憐憫のまなざしと共に解雇宣言をされる、ということになってしまう。

 頭の中だけで月日の日程を組むことは、このように一歩間違えれば社会不適合者になりかねない危険性を大いに含んでいる。極めて剣呑であると言わざるを得ない。こういった危険を回避するにはどのような工夫を凝らせばいいのだろうか。

 実は答えは簡単であり、それは脳内で月日のタスクスケジュールを組むのではなく、そのスケジュールを何かの紙に書き記す、というものである。つまり、脳内のメモリを食っている情報を紙面にそのまま移項するのである。これにより脳内のメモリは完全開放、ワーキングメモリは最大限の領域を持って利用され、前述の、ワーキングメモリの領域が狭まる現象、及びワーキングメモリの情報と脳内タスクスケジュールの情報とのミックス、これらを防ぐことができ、日々の業務を快適に処理することができるという訳である。

 また、紙面に書き記すことによってそれらの情報が可視化され、客観的に判断できるようになるという面もある。時間軸に沿ってタスクを書き記していくと、タスクとタスクとの隙間の時間、現在のタスクの総量などが容易に知れる。頭の中だけではこういった全体像を俯瞰することは難しいのではないかと思われる。

 

 

 こういった事情から人々は手帳を利用し、日々何かしらのタスクを書き込んでいるのであった。

 

 

 それらのタスク全てが、徒労に終わる運命であることを知らずに……