rememberのゆめにっき

文筆の訓練のようなもの

本棚に抽象画を飾る

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 いくつかの判断材料から俺は今図書館にいるのだと結論付けた。くすんだオレンジのカーペットとベージュの壁が見える。空気に微塵も対流を感じず、人の手が加わったもののように感じたが、それはあくまでも人々にこの場を快適に過ごしてもらうための調節だった。ちょうどいい温度だ。肉体労働、頭脳労働、感情労働。この空気だったらそのいずれの労働も快調な出だしで始められそうだった。

 しかしそれらはここが図書館だと断定できる決定的な情報ではない。俺の眼前には俺の行く手を遮るように焦げ茶色のオブジェクトが存在している。そのオブジェクトは大雑把に言えば四角くて、表面に数冊の本、本というよりは雑誌か、その雑誌がそれの表紙を見えるようにして立てかけられていた。つまりこの焦げ茶色のオブジェクトは本棚と言えるのであり、この本棚の存在と前述の空間環境の情報とを統合した結果、ここは図書館である、と俺は思ったのであった。

 その本棚にはエンプティーな箇所、つまり何も雑誌が置かれていない部分がいくつかあった。人は突然の空白というものには違和感を抱くものなのだろうか。俺はそこを今自分が手にしているもので埋めてみたいという欲求にかられた。俺は本棚の空白部分を埋めた。六ヶ所あった。俺は自身が本棚に埋めたものを見て、初めてその正体を認識した。

 抽象画であった。様々な色をただキャンバス、あるいは紙にぶちまけただけ、みたいな絵だった。それは六枚が六枚とも、多少の色彩の変化は見受けられるものの、本質的にはすべて同じで、対立する二つの概念の統合に失敗した者が描いたような絵だった。芸術とは素晴らしいという価値が内面化されていない者にとっては、それはただの落書きにしか見えなかった。本棚に立てかけられた、さも価値がありそうに見栄を凝らした、芥。

 でもその絵を描いたのは俺だという意識があった。だからその統合に失敗した者とは俺ということになる。実際俺は以前絵を描いていた。もう辞めてしまったが。

 

 その時背後で女性の声が聞こえた。俺はその声を自身のパソコンのディスプレイ越しに聞いたことがあった。彼女は俺がよく見ているバラエティ番組に出演している一般人だった。あまり美しくない容姿をしているのだが彼女自身それを良く自覚していて、明るい人格を取り繕い道化を演じることが彼女の処世術のようだった。一般的価値観から多少逸脱した衣装を身にまとっていて、それが彼女の振舞いを後押ししていた。

 彼女は誰かに対して進路の相談を持ち掛けているようだった。俺はその会話に聞き耳を立て、彼女の心理状態を読み取ろうとした。しかしよく分からなかった。