rememberのゆめにっき

文筆の訓練のようなもの

もの凄い量の小雨、みたいなシャワー

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 年齢や身体的条件によってある程度差がある料金を払えば誰でも水泳や水を用いた遊戯を行える公共施設、に行った。

 施設内にある、不特定多数の人間が入っても衛生が保たれるよう何らかの処理を施したと思われる水が張ってある場は、大別すると以下の四つに分類できた。

・水が常に一方のほうに、一定の速度で流れが発生している循環型の場。

・水面が浅く、幼児や子供の水難事故を防ぐよう配慮した場。

・地上十メートルほどの高さから流しそうめんの如く、筒を半分に割ったような形の巨大なホースの中を水と共にスライダーし地上の水場に着水する、享楽主義者向けの場。

・特に何も設けられていなく、そこで何をしてやり過ごすかはその者の意思に依る部分が多い自由主義者向けの場。

 

 俺は最も有意義に時を過ごすにはどの水場に行くのがよいのか、もの凄い量の小雨、みたいなシャワーを浴びながら思案した。

 幼児用に作られた水場の中央には、キノコを模したと思われる巨大なオブジェクトが設立されていた。そのキノコの房の外郭からは下に向かって水がシャワーのように噴出していた。キノコはカラフルな色合いで、シャワーと相まってメルヘンな雰囲気を醸し出していた。なるほどあの設備も幼児を楽しませる為に一役買っているという訳か。色々と工夫をするものだな。俺はそのキノコに興味をひかれなかったわけではないが、さすがに幼児の群れの中に突入していくのは憚られたし、もし俺があのキノコの中に入ったとしても得るものは虚無感しかないだろうなとも思った。享楽主義者向けの水場も同様に思った。

 俺はシャワーを浴びるのをやめ、循環型の水場に向かった。

 

 その水場の流れは反時計方向に緩やかに流れていて、多くの人々はその流れを享受しながら、ビニール製の非常に軽い球体を同輩に投げつけたり、土着的な会話をしたり、本格的拳闘劇に発展しない程度の戯れをしていた。俺はその人々に接触しないよう注意しながら、水の流れに沿って泳いだ。大抵は平泳ぎだったが時々クロールにした。水場全体の四分の三ほどまで泳いだところで何も楽しくないことに気付き、水場から上がった。もしかしたら水の流れとは逆向きに泳いだら面白いかもしれないとも思ったが、変人奇人にみられるだろうから辞めた。それを実行する勇気はなかった。

 次に自由主義者向けの水場に入った。先程の水場は流れがあったため人の進行方向というのが予測できたのだがここはそれがなく、故に人は思い思いの方向に向かって進行できるわけであり、その様はまさに自由で誰がどの方向に行くのかまるで予測がつかなかった。狂乱の場であった。皆狂っていた。恐れおののいた俺は、肺の空気を抜き水場の底辺に沈殿することにした。肺に空気が入っているとそれが浮袋の役目を果たしてしまい、潜水することができないのだ。水場の床に臀部を付けた俺は、そこで何か哲学的な思索にふけようかと思った。それは現実逃避と同義の行為だった。この異空間が自分の思考に何か影響を与え、新たな見識を生み出すかもしれない。何てことを考えたのだが運動不足による体力の低下で俺はすぐ音を上げてしまい、酸素を求めて水面上に浮上した。

 何をすればいいのか分からなくなった俺はそこにいる人々を観察することにした。思ったのは上着を着たまま泳いでいる人が多いことだ。その上着をウェットスーツとでもいえばいいのか、ダイバーが着るようなもので、身体に良く張り付くような素材でできていた。かと思えばただの、フードがついているジャージ、みたいなものを着ている人もいた。半袖のものもあれば手首の部分まで覆っているものもあった。年齢や性別は関係なく、野球部員のような中学生も着ていたし、子供がいる主婦も着ていた。日焼け防止の為だろうか、日焼けなど気にしなくてもいいのに。でもそれは俺の価値観であって絶対のものじゃない。そう考えない人がいたってもちろんいいのだ。

 その水場での人々の遊び方というのは、先程の流れがある水場とそう変わり映えするものでもなかったが、一つだけ変わった遊び方をしている子供の集団がいた。この水場には左右を均等に分断するかのような線上の人工物が水面に揺曳していて、その人工物を挟むように子供らは位置していた。左右の集団は双方とも五人ほどで、お互いを親の仇の如くにらみ合っていた。そして空気を入れた球体を水面に落とさぬよう、相手側の集団に向けてそれをはたいていた。なるほど、あれはバレーだ。水面に浮かんだ線上の人工物をバレーの際のネットに見立て、最もそれは高さがないので実際のネットのような役目は果たさないものの、お互いの陣地を分かつ標識としては成り立つものであり、それは実際のネットの役割でもあるから充分にネットに模せられるものであって、つまり子供らはバレーボールをしていた。ただそれだけであった。俺は子供らの創意工夫性に対し、やるな、と賛辞の声を送った。無論密やかに。

 

 完全にやることがなくなった俺は帰ろうと思った。ここに居た時間は四十分ほどだった。思ったほど短かった。入場するときに浴びた、もの凄い量の小雨、みたいなシャワーを再び浴びた後、俺は帰路についた。