rememberのゆめにっき

文筆の訓練のようなもの

暗みを持った白い光

今週のお題「ちょっとコワい話」

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 何かに対して恐ろしいと思うだなんて……そんな経験を最後にしたのはいつだろう? 恐怖だなんて、無駄に感受性が強い人間が抱く感情なんじゃないか。それは現実を曲解するくらいの瑞々しさをもった……

 

 幼少の時分、彼は六畳ほどの広さの和室に布団を敷いて寝ていた。その寝床の壁は炭のような色の引き戸だった。

 その引き戸に、感情が一切読み取れない顔が在り、彼を見ていた。

 何故それがそこに、何の目的を持って見ているのか、全然わからなかった。笑っているのか怒っているのか泣いているのか、いや強いて言えば笑っているように彼には見えた。でもそれがどういう意図の笑いなのか、嘲りか、喜びか、諧謔か、愛想か……。何もわからなかった。なんであんなのがあそこにいるの! あれはいったいなんなの!

 彼は泣いた。泣きじゃくった。彼の母親が傍らにいて、彼をあやした。

 

 それは逆三角形の頂点だったのである。白い正方形が上に二つ、下に一つとあり、それが眼と口を模しているようにその時の彼の眼は捉えたのだ。白い正方形はおそらくポスターか何かが張ってあって、それの糊が付着してしまったもののように思われる。

 その三つの白い正方形の、それぞれとそれぞれの間の距離は均等ではなかった。歪んでいたのである。上の右の点がやや上方に、下の点がそれに吊られるように右方にずれていた。その歪みはそのままその顔の笑みの歪みとなって彼の眼に映り、その歪な表情が彼の無意識内に存在する原始的な「幽霊」のイメージを触発し、恐怖心に苛まされた。

 

 

 

 その彼の感受性は、成長を重ね現実社会のメカニズムを知るごとに、あるいは知ろうとするごとに、徐々に水分が失われていった。事情を顧みない指令に打ちのめされ、人々を支配する数字を支配することに支配され、記号のような挨拶に辟易し、錯綜する情報の真と虚を見定めることに神経を使う。そんなことを繰り返すうちに、少しずつ、時には突然ダウンした機械のメーターの針の動きのような大きさで、削られ、摩耗し、瓦解し、淀み、朽ち、弾かれ、そしてついには、干からびてしまった。

 干ばつした感受性は何も感じ取らない。彼の心に恐怖が生まれなくなってずいぶん久しい。

 

 

 

 過日、夕食を食べすぎてしまった彼は少し散歩でもしようかと家の外に出た。7月、その日の夜は特段に湿気を含んでいた。ただ歩いているだけなのに汗ばみ、Tシャツが肌にまとわりつく。この湿気はどうにかならないものか……帰ったら風呂に入って、扇風機の風に当たりながらアイスでも食べよう。

 街灯が照らすアスファルトの道を進んでいく。やがてその光は彼から後退するように消え去り、彼は完全な闇の中にとぷんと浸かった。彼はそのまま同じ調子で歩き続けた。虫の鳴き声だけが聴こえていた。

 彼は墓場にたどり着いた。冷蔵庫くらいの大きさの墓石が4,5軒程しかない、小さな墓場だった。この墓場は2mくらいの、何某かの樹木によって囲われていた。一番奥にある墓場と、その囲いの樹木の狭間の、人一人が通れる位の何でもない空間に、縦に長い楕円形の白い、だが暗くもある光が存在していた。しかし光というには余りにも周囲を照らすことに従事していなく、もっぱらその光自身の為、その光はあるようだった。彼はその光に近づくにつれ、だんだんとその光の中に黒い線を見出した。それはエッジラインを強調し、明暗を反転させた画像のようだった。その黒い線をよく見ると、社会生活を送るうえではいささか長いと思われる黒髪の人間の姿を形作っていた。それは上半身だけの人間で、うつむいていた。その黒い線は電波の悪い映像受信機のように時々歪みを起こした。

 彼は、暗みをもった白い光の中に蠢く人間の形をした黒い線、それを幽霊と結論付け、手を伸ばせば肩に触れられるくらいの位置まで近づいた。彼が全く恐怖心を抱いていないのは自明の理である。

 彼は幽霊に向かって話しかけた。

 

 

 

 墓場に幽霊がいるのはすごく当たり前の話だよな。むしろ生身の人間が一人ぽつねんと佇んでいる方が俺は怖いよ。何を考えているのかわかりゃしない。あはは。