rememberのゆめにっき

文筆の訓練のようなもの

越境できる人は世界を信じている

 

aniram-czech.hatenablog.com

  リンク先の記事での、著者の言葉の中からいくつか引っかかったものがあった。

 

>これはすべて「私が彼だったらそうする」という話である。

>「死を覚悟したブロガーの世界一周ブログ!」とかで稼げないかなとワンチャン狙う。

>汚い話を抜きにしても、世界中の美しいものを見ないまま自殺なんてごめんだ。

 

 リンク先の記事と、この方の他のいくつかの記事を読んで、俺はこう思った。

「この人は世界というものを信じている」

 この方……チェコ好きさんはよく海外旅行に行く方らしいのだが、そもそも海外旅行というのは、前述の価値観を持ち合わせていなければできない行為だと俺は思う。

 俺は海外旅行に行ったことがない(というか行けない)人間なのでこれは想像でしかないのだが、おそらくほとんどのことが自国と違う訳でしょう? 人と人とを交錯させる言語、食べ物を提供する空間とそれに付随する食器や小物類、その人を魅力的に飾り立てる衣類、林立する建物の構造や色彩、その建物の間を吹き抜けてゆく風の温度や湿気、その風を享受しながら闊歩している、自国の動物とは全く形態が違うそれらのものたち……

 この世界を信じているのであれば、それらの文化差は刺激の連続でしかないのだろうなと想像する。未踏の地へ踏み込むたびに、こんな価値観があったのかと驚愕し、吸収し、知見を深め、信じられないような人と出会い、話をして、人生を色彩豊かなものにしていく。理想だと思う。素晴らしいと思う。

 でも、もし「この世界を信じられない」という考えの人がいたら? 外の世界を歩くことに、或いは知ることに、恐怖や不安、自身を支える何かが崩壊してしまうような、そのように感じる人がいたら?

 そういう人にとっては、文化や価値観の違いなどただのストレッサーにしかなり得ないのではないだろうか。

 

 「この世界を信じている」人が、「自殺を考えている」人の立場になって考えることは出来ない。何故なら自殺を考えている人は、もう世界なんて信じていないからである。というより、世界を信じられなくなったから自殺という選択肢が浮かんだのかもしれない。

 だからチェコ好きさんの「私が彼だったらそうする」という考えは成功していないと思う。『「死を覚悟したブロガーの世界一周ブログ!」とかで稼げないかなとワンチャン狙う』というのも、それは「今」の精神状態のチェコ好きさんだから思えることであって、もしチェコ好きさんが何某かの不幸な目に遭って、メンタルを病み、どん底の生活を強いられるまで堕ち、あんなに好きだったものが好きでなくなってしまい、人、そして、世界を信じられなくなってしまった、という場合がもしあったとして、その時チェコ好きさんが今と同じように前向きに考えられるのかというと俺は少し疑問だ。

 

 俺は別にチェコ好きさんを咎めようとしているわけではない。ただ、自殺未遂をしたことがある俺にとって、チェコ好きさんの価値観はあまりにも眩しすぎる、ということです。