rememberのゆめにっき

現実のことも書くが

或るイメージの描写

 境弌の家の敷地内には、いや敷地外にもだが、林があった。森と形容するには半端な広さと樹木の数だった。裏庭のそれは特にそうなのだが、繁茂した木々は年百年中日光をブロックしていて、どんなに快晴であってもその林の中は陰気だった。奥の方に進めばワラビや筍などが採れるらしいが、境弌はそんな田舎臭い食物には関心がなかった。

 庭はフットサルができるくらいの広さで、上から落とせば軽の車だったらぺしゃんこにできる位の大きさの岩が3つあった。由来は知らない。建造物は、母屋、隠居、納屋が3棟。庭木が多数。出来の悪い盆栽と観葉植物も無数にあったが、木に囲まれた環境下ではそれは半ば周囲と同化していた。

 敷地内から外のコンクリートの道に出られるところには、高さ15メートルくらいの、この辺り一帯に生えている樹木のなかではユニークと言えるだろう、白い像の肌みたいな幹の巨木が在った。巨木は天に行けば行くほど枝を展開していて、その枝には、目視で数えるにはちと面倒な数の、深緑色の葉が茂っていた。その葉の多くには、今にも地に滑り落ちそうな様子で水滴が付着していた。今朝方雨が降っていたのである。

 ふわりと、髪の毛が軽くなびくくらいの風が発生した。それは葉に付着した水滴を払いのけるには充分な力だった。

 巨木の末端部分は僅かながらに揺曳し、数多の雫が重力に従って地に落ちていった。

 

 境弌は図書館に出かける為、ガレージとして利用している納屋に停めてある、自車のマーチに乗り込んだ。左足でクラッチを踏み込んで、右手でキーを奥側に回し、エンジンを掛けた。境弌の車はマニュアル車だった。

 今思えば普通のオートマでもよかったな、と境弌は思う。マニュアル車を選択したのはその方が運転が楽しいだろうという考えからだったが、実際に運転してみれば何てことはない、期待していたシフトレバーによるギアチェンジは、別に面倒には感じないものの、特に楽しみを見出すこともできず、ただただそれは歯車を変える動作でしかなく、何らの感情も沸いてこなかったのであった。バイトで普通のオートマ車を運転したことがあったが、自分の車を運転する感覚と何ら変わりはなかった。

 今思えば映画に感化されていたのかもしれない。或る暴力的、それは猟奇的と形容してもいいくらいの、素行が悪い刑事が主人公の映画なのだが、その刑事がマニュアル車を運転するシーンがあった。そのシーンは後部座席からのアングルで、画面中央にシフトレバーを操作する刑事の左手が映し出されていた。状況に合わせて的確に、しかし荒々しく左、右、奥、手前に動かすその所作を観て、境弌は男性的な魅力を感じとった。それでマニュアル車の運転にある種の憧憬を抱いていたのかも知れない。

 しかし実のところ、理由は他にあった。境弌は高校を卒業してしばらくした後、教習所に通い出したのだが、そこには境弌の同級生らがいた。そして同級生たちの半数くらいはオートマ限定の免許を選択していたのである。それを知った境弌は、ならば俺はマニュアルを選択しよう、と考えた。オートマ限定の資格ではオートマ車しか運転できない、しかしながら、マニュアル車の資格を取ればオートマとマニュアルの両方を運転できる。これはどう考えても、マニュアル免許の方が優れている。

 実際今の自家用車はほとんどオートマ車になっているわけで、オートマ限定だからといって困ることはほとんどないのだが、人から抜きんでた才を持ち合わせているわけでもなく、ならばせめて勉学に励めばいいものを、そんなものは才能がない奴がやることだと誤った考えを持っている、実は何の才能もなくプライドだけが高い境弌は、マニュアル免許を持つことで優越感を得たかったのである。それはオートマ限定の免許所持者だけに通用する、えらい応用範囲の狭い優越感だった。境弌はこの優越感に対して、無自覚であった。優越感というのはそもそも自覚しにくいものなのだが。

 しかしながら、後年マニュアル免許が必須のバイトをする機会が訪れたので、あながちこの選択が間違っていたという訳でもなさそうに思える。

 

 助手席の足元には小さなゴミ箱が置かれている。ゴミ箱には、肌色のビニール袋に包まれたコンビニ弁当の箱が、沈没していく船みたいに捨てられていた。もう満杯だな。そういえば今日は火曜日でちょうどゴミの日だ。今だったらまだゴミは収拾されていまい。図書館に行く前に捨てに行こう。

 境弌はギアを一速に入れ、のろのろと車を発車させた。家の敷地から外に出る辺りで、2速にギアチェンジをしようとしたその時だった。境弌の車のフロントガラスに無数の雨粒が飛来して、タラタラッと小気味いい音を立てて弾け飛んだ。境弌の耳がその音を捉えたのとほぼ同時に、フロントガラスが粉々に砕け散った。雨粒と一緒に、人間の形をした何かが、直立不動の姿勢で落ちてきたのだった。その人間は両足でスタンプをするかのようにフロントガラスを突き破ってきて、そのまま車のシフトレバーにぶち当たり、破壊した。境弌はガラスの飛沫を浴びて、滅茶苦茶になった。